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臼杵市 | |
戦国時代、九州六カ国を治めたキリシタン大名・大友宗麟が永禄五年(1562)、
四方を海に囲まれた天然の要塞であった丹生島に丹生島城(臼杵城)を建築しました。 ここから、城下町「臼杵」の歴史が始まります。 その当時の臼杵は、明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市として栄えました。 現在の町並みは、美農(岐阜県)から慶長五年(1600)に入封した稲葉氏によって築かれています。 城を中心に、商家が建ち並び、その外側を武家屋敷や寺院が取り囲むように町が形成されました。 曲がりくねった道やカギ型の通。ひとつ角を曲がるたび、時をさかのぼるように、 いにしえの時に巡り会えます。 | |
臼杵城跡│龍原寺の「三重塔」
strong>│丸毛屋敷│旧臼杵藩主 稲葉家下屋敷 | |
かつて関ヶ原の戦いによって転封となった稲葉家に従い、岐阜から臼杵にやってきた商人たち。 造り酒屋や回船問屋など、威勢のいいかけ声が飛び交った「町八町」は、今も木造の商店が軒を連ね、 粋な雰囲気に包まれています。 この町八町から武家屋敷へとつながる二王座の石畳に敷き詰められているのは、 近隣から切り出された凝灰岩。 雨が降ると塗れた石畳が黒く輝き、白いまなこ壁との対比が美しく、趣があり印象的です。 四季折々の風物に彩られ、様々な表情を見せる風景。 臼杵には、心静かな潤いがあります。 | |
野上弥生子 文学記念館│吉丸一昌記念館 早春賦の館│二王座歴史の道│お休処旧真光寺 | |
かつて商いの町として栄えた臼杵。商人たちが、大切に育んできた食文化の一つにフグがあります。 豊後水道の急流にもまれた臼杵のフグは、フグの中でも王様といわれる「トラフグ」です。 色つやがよく、味にも定評がある臼杵のトラフグは、市場でトップクラスの高値がつきます。 また、食通として知られる木下謙次郎は、美食の聖書『美味求真』の中で、 「ふぐのなかでも豊後(大分)ものはまた格別」と、豊後水道で水揚げされるフグを絶賛している。 臼杵にはフグ料理の店が多数あり、一年中、フグの贅沢な味わいを楽しむことができます。 また値段も手頃なことから、おいしいフグを求めて、全国各地より多くの人々が訪れています。 フグ刺し、てっちり(フグ鍋)、雑炊、唐揚げ、ヒレ酒など食べ方もいろいろですが、 フグ料理と言えば、まずはフグ刺し。大分のフグ刺しの特徴は、身が厚いこと。 フグは新鮮であればあるほど、薄くひくことはできないのです。 つまり、その厚みが新鮮である証拠。噛みしめれば、独特の旨みが口中に広がり、一度味わったら 忘れられないうまさです。 | |
臼杵の郷土料理│フグ料理 | |
凝灰岩の岩肌に、木彫りの仏のように丸彫りされた臼杵石仏。 いつ、誰か、何のために彫ったのか。 確かな技と美しい姿によって、磨崖仏としては全国で初めて国宝に指定されました。 地名によって、ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第二群、三王山石仏群、 古園石仏群の四群に分かれ、そのうちの59体が国宝となっています。 規模や数量はもちろんのこと、彫刻の質の高さや芸術性においても、日本の石仏を代表するものといえます。 また、八月最後の土曜に行われる石仏火まつりは、石仏を背景に約千本の松明とかがり火が燃えさかる 西日本最大の火まつりです。 表情豊かな御仏の姿は、見る者の心にやすらぎを与え、悠久の彼方へと誘います。 | |
臼杵石仏群│満月寺 | |
南に緑深き山並み、東に豊後水道の青い海が広がる臼杵。 素晴らしい景色が広がる「臼杵カントリー倶楽部」では気軽に本格的なプレーが楽しめると県内外から プレーヤーが集います。爽快な汗をかいたあと、名物のフグ料理に舌鼓をうつのが人気のプラン。 リアス式の海岸線では、毎年3月から5月の初旬まで潮干狩りを楽しむ人々で賑わいます。 爽快な海を満喫する釣りや海水浴には、津久見島や、かつてリーフデ号が漂着した黒島がもってこい。 景勝地・白馬渓は、四季折々の豊かな表情で、散策やスケッチにぴったりです。 熊崎川上流の渓谷にある六ヶ迫鉱泉は、胃腸病や糖尿に効果があると言われており、 湯治や鉱泉汲みに多くの人が訪れています。 | |
山内流遊泳大会│臼杵桜まつり
strong>│臼杵祇園祭り│王の字火まつり│城下町うすき朝市
│竹光芸まつり | |
豊かな漁場である豊後水道に面した地形と温暖な気候、清らかな川に恵まれた臼杵は 海、山、川の幸でいっぱいです。 さわやかな香りとスカッとした酸味が特徴のカボスは、元禄年間に臼杵に伝わり、 元祖うすきカボスとして味、質が高く、各地に出荷されています。 その他、椎茸やみかん、たばこなど特産品は盛りだくさん。おみやげにぜひ、どうぞ。 |