般若姫行列(真名長者伝説より)
その昔深田の里に栄え、臼杵石仏を造像したと伝えられる真名長者に般若姫という美しい娘がおりました。その美 しさは都はもとより、遠く海外にまで聞こえる程でした。
噂を伝え聞いた朝廷は、姫を都へ召そうとしましたが長者夫妻はこの申し出を断り、かわりに姫の似姿が描かれた 玉絵箱を献上しました。
ところが、玉絵箱に描かれた姫の姿を見て恋におちた若者がおりました。時の欽明天皇の第四皇子橘豊日(たちば なのとよひ:後の用明天皇)その人でした。皇子は姫に会うために牛飼いに身をやつして長者のもとへ身を寄せ、 やがて二人は結ばれました。
その後、皇子は身分を明かし懐妊した姫を残して都へ帰りました。無事出産を終えた姫は、皇子の待つ都をめざし て船で旅立ちましたが、途中嵐にあい帰らぬ人となってしまいました。悲しんだ長者夫妻は姫の供養のため、 玉絵箱の里帰りを願い出て、朝廷もこれを許されました。
深田の里では、里人たちが竹にあかりを灯して、玉絵箱を携えた御一行を出迎えました。

玉絵箱
般若姫の美しさを伝え聞いた中国の皇帝が、二人の画工を遣して姫の似姿を描き写した玉絵箱を二つ作らせたと言われています。
ひとつは皇帝のもとへ持ち帰り、もうひとつは真名長者のもとに残されましたが、後に朝廷に献上されました。
(写真は想像・復元したもの)

晩秋の夕暮れのおとずれとともに、石畳に並んだ数千の竹ぼんぼりに明かりが灯ります。
浮かびあがる古い町並み、行き交う着物姿の女性たち、流れてくる古代の音色、幻想空間への旅が始まります。

お祭りから新たな産業へ…
古竹の利用
筍(たけのこ)畑の生産を維持するには、古竹(四年以上)を間引き、竹林を若く保たなければなりません。
まつりで使うたくさんの竹はすべてこの古竹を利用し、まつりのあとは竹炭の原料として窯入れします。